雨音のする画廊

些細な記憶



「我我の人生は曖昧なものだね」
「そうでもありません」


(内田百閒「雪解横手阿房列車」より)


…前夜のごちそうがなにひとつ思い出せないというのは単に飲みすごしだろうと思うが(笑)
それにしても私たちはいろんなことを忘れてしまう。


忘れるということが無ければ、と忙しいさなかには思うけれど、
忘れるということが本当に無ければ人はおかしくなってしまうことだろう。


しかし不思議なのは、
なぜ覚えているのかわからないようなごくごく些細な記憶が、
今していることとは何の脈絡もなく、ふと浮かんでくることだ。

きっと歳を重ねるほど、そういう小さい断片が増えていくんだろう。




今日バス停で、
どうしてもはっきりとは思い出せないことがあるのを思い出した(笑)


かなり小さい子どものときだったと思う。

やっかいなことに、その物についての記憶はまるでぼんやりとしている。
単純なものだったことだけはたしかだ。

手でなにか針金のようなレールを持って、傾けると、
なにか円盤のようなものが、じつにゆっくりとそのレールを滑っていく。
傾きを大きくしてみても、やっぱりゆっくりである。
レールの端っこまでいくと、またそれは戻ってくる。

動力はもちろん付いていない、ヨーヨーみたいな物理系のおもちゃだったのだろう。
何が面白かったのか、黙ってそれを繰り返していた。
視覚というよりは指の感触の記憶だ。

ものすごく曖昧なのに、
「ゆっくり滑っていく円いもの」をたまに思い出しては、
あれは何のおもちゃだったんだろうともやもやする。



皆さんもそういうもの、ありませんか。

そして、このおもちゃを知ってるというかたがいらっしゃいましたら、
どんなものだか教えてくださいね。




なんだかものすごくぼんやりしたことを書いてしまった…
疲れてますね、早く寝よう(笑)




DSCN1304.jpg
▲うっかりアートかと思った建物。転写でもされたかのように見えたのだが、細かい網が張られているだけのようだ





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  1. 2015/02/17(火) 00:28:41|
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プロフィール

猫足

Author:猫足
京都生まれ、本業は工芸デザイン。
なのに趣味も絵。われながら不健康だと思います。


〔筆者近況〕

先日、帰りが遅くなり急いで歩いていたら、
「あたらしい餅」
と書かれたのぼりが立っていた。

そりゃ古いよりはいいだろうけどさ、
…とよく見ると、
「みたらし小餅」だった。

こんな調子でいろいろ誤解してないか心配である。

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