またご無沙汰をしてしまいました。
この時期は、どうも体調が良くなくてですね。
一日雨降りだった日曜、
今夜はちょっと落語の話でも致しましょう(*´▽`*)
どうぞ、ごゆっくり。
「窓際のトットちゃん」、
…黒柳徹子さんの子ども時代を綴ったベストセラーで、お読みになったことのあるかたはずいぶん多いだろう。
長く教職についていた叔母が、まだ小学生の頃に贈ってくれて繰り返し読んだので、
強く印象に残った断片がいくつもある。
トットちゃんは、家にあった素敵なラジオで、落語を聴くのが好きだった。
なのにある日、お母さんから、
落語禁止令を申し渡されてしまう。
なぜかというと、
お家にいらしたお客様がなにかお土産をくださったときに、
嬉しくなってその場で、
「おっ母ァ、こいつは御の字だぜ」と言ってしまったからなのだ。
…今この本は手元にないし、
だいいちトットちゃんに近い齢では、このエピソードは完全には理解できないはずだが、
(殊にお母さんの恥ずかしさと言ったら!)
この「御の字~」の台詞は、どういうわけかしっかりと記憶に刻み込まれてしまった。
それは、筆者もまた
「落語が好きな、ちょっと変わった子ども」だったからかもしれない。
好きなわりに詳しくはないので、あまり踏み込んだことを書くわけにはいかないが、
噺にもいろいろとジャンルがあって、
そのひとつに
「芝居噺」という分け方がある。
そもそも、落語と、
歌舞伎、文楽、浄瑠璃などほかの古典芸能とは密接にかかわりあっているのだが、
芝居噺では、
「芝居に夢中になりすぎた素人」がネタになっているものが多い。
娯楽の少ない時代、
定番の演目、たとえば「仮名手本忠臣蔵」などは子供でも知っているし、
芝居好きならば、有名な場面の声色をそっくり真似てみるくらいのことは出来たものらしい。
というか、みんな、自分で演じたくなっちゃうんでしょうね(笑)
…芝居噺のもつ、そういう時代の雰囲気がどうにも楽しくて好きなのだが、
「胴乱の幸助」という演目は、そのなかでも、やや特殊なのではないかと思っている。
もう十年以上前に、取引先のかたに音源をお借りして初めて聴いたのだが、
こんなに面白い噺があったのかと驚いた。
(そりゃあ桂枝雀師匠は、なにをお演りになっても凄いのだけれど)
…炭屋の隠居である幸助さんは、
まだ子供のうちに田舎から出てきて、一心不乱に働いて財を成した苦労人。
飲む打つ買うは無論のこと、娯楽と名の付くものには一切関わらずに生きてきた彼だが、
ひとつだけ道楽がある。
それは
喧嘩の仲裁をすること。
往来で喧嘩をしているものがあれば止めにはいり、
胴乱(財布)を出して、自腹で両人に酒を飲ませて手打ちをさせる。
喧嘩とみれば、もう子供でも犬でも止めにかかる(そして何かしらをおごる)という、
奇特な、そして若干奇妙な趣味のおやっさんなのである。
この話の前半は、
幸助を見かけたヒマ人ふたりが、
うその喧嘩を演じてただ呑みをしようとする顛末を描いている。
後半は、まんまと乗せられて酒をおごり、スカッと良い気分になった幸助が、
稽古屋の前を通りかかって、
浄瑠璃の一節を聞いてしまうところから始まっている。
そのとき稽古していた「帯屋」というエピソードは、
「お半長右衛門」と称されて、そのころは子供でも知っていた有名な心中ものである。
その中の一幕、悪い義母が嫁いびりをするセリフが、
浄瑠璃も芝居も知らない、一徹なおやっさんの耳に入ってしまったわけだ(;^ω^)
稽古屋の見物をしていた人たちに、あらすじを解説してもらった幸助さん、
こんな揉め事抛ってはおけんと、すぐさま三十石の船便で京都に向かう。
誰でも知ってるお半長の物語、そこから時代は下っているのだが、
その舞台の所在地「柳馬場押小路、虎石町西側」に、偶然、
帯屋さんがあったのだった。
その「帯屋」にやる気まんまんのおやっさんが乗り込んで…
…というのが、この噺の大筋である。
何度も聴いて、
お半長右衛門、正式には
「桂川連理柵」(かつらがわれんりのしがらみ)というこの演目が、
じつに上手く採り入れられているのに感心してしまった。
ほかの芝居噺と違うのは、
「演じる」という行為の、いろんなタイプを描いているところなのではないか、と思う。

▲ロートレックが捉えた名優の姿、イヴェット・ギルベール。ジャンルは違えど互いを尊敬していたという(※注1)
前半で、幸助さんに奢らせようと企む二人組は、
前もって喧嘩を演じる段取りをしておいたのに、
当たりどころが悪くて、ほんまもんの喧嘩に発展してしまう(^^;)
演じているその役柄に魅入られたか、役者の実生活に影響が出てしまう。
…というのは今でもよく耳にする話である。
プロの俳優ですらそういうことがあるのだから、
「演じる」ことの心理的効果には相当なものがあるのだろう。
演劇が、精神科医療でのプログラムに採り入れられている、と読んだのはかなり古い文献だったけれど、
今でもあるのだろうか。
いっぽうそのころ、近所の稽古屋では、
浄瑠璃の、誰でも知っている役柄になりきって語る人、
あるいはそれを観て楽しんでいる人たちがいる。
芝居を、芝居=こしらえ事、フィクションとして楽しむ文化が広く根付いていたわけだが、
やはり
好きな役を自分で演じるというのが、最も濃度の高い娯楽であることは今さら言うまでもない。
その延長線の一枝にたぶん、
コスプレという独自の発達を遂げた文化がある。
アニメや漫画の世界そのままの衣装もメイクも、
手間と費用をかければ思いのまま。
それをさらに増強して写し出してくれるのが、腕のいいカメラマンなのだろう。
しかしこの私的な「演劇」にも、やはり必要なのは
鑑賞者であって、
純粋に自己完結できるものではないようである。
…さて、
うその喧嘩や、浄瑠璃の稽古に振り回される、正義感の塊のような幸助さんであるが、
筆者は、彼もまた
「演じる」ことにとりつかれた人物なのではないか、と思ったのだ。
噺が進むあいだに、
〈体を張り身銭を切って喧嘩を仲裁する〉、いわば
侠客のイメージをはっきり描いて、
そこを目指していることがはっきりする。
現実の彼は、真面目に働きとおし、息子に家業を継がせて楽隠居のおやっさんなのだが、
なんなら額に向う傷のひとつも付けてみたい、
そうして
理想の男を演じ切りたいと、今日もパトロールを続けるのである。

▲「菱屋」さんのご主人による、現・JR丹波口駅の貴重な撮影記録(※注2)。 この噺では、汽車の登場がオチへの伏線となる
したがって、「胴乱の幸助」は、
異なった意識のレベルでの〈演技〉が絡み合う、なかなかに珍しいタイプの噺だ、
…と言ってもいいのではないだろうか。
こんな複雑なエピソードを、
〈稽古屋〉など、現代にはなじみのないシステムを説明しながら演る、というのは並大抵のことではないと思う。
いわゆる大ネタに含まれるのかどうかは知らないが、いくつかおススメの演目を選ぶとしたら、
私としては絶対に入れたい噺なのです(^^)/
…余談になるが、冒頭の「トットちゃん」に戻ると、
たしか、学芸会で
「勧進帳」をやる。という章があったと思う。
小学生が「勧進帳」ですよ( ゚Д゚)
そういう時代、と片付けることは簡単だが、
筆者は30代のいい大人になってから初めて、この古典中の古典を生で鑑賞し、
最後の「六法飛び」に至って、謎の感動に鳥肌が立つ思いをした。
今の子どもにとって、
落語や歌舞伎、その他の芸術における古典が「必須科目」だとはとうてい言えない。
ただでさえ理系偏重の世の中ですものね。
でも、
「教養」という定義しにくい言葉のニュアンスには、
そういう
文化の地層に触れた経験を含まずには済まされないものがある、気がする。
またいずれ、古典芸能の愉しみに出会えたら、
ここに書いてみたいと思います。
では、今夜はこのあたりで。
筆者注1;素晴らしい描写の数々だが、ポスターにはならなかった、
ギルベール本人が「こんなに醜くない」(#^ω^)と、許さなかったからだという。
筆者注2;旧丹波口駅を撮影されたご主人が営む「菱屋」さんは、京都・島原の有名なおかきやさん。
また改めて書かせていただきたい、とっても素敵なお店です(^^)/
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- 2021/03/29(月) 00:24:34|
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どちらかというと流行に疎い人生を送っている。
というか、
最先端のもの、流行ってるもの、これがきてる、バズってる、
…そういう情報に興味がないわけではないのだけれど、
昔から、
いつもそれを若干「引きで」眺めてしまうのである。
それが経済を回しているのだと言われれば確かにそうなのだけれど、
タピオカはわざわざ並んでまで…と思っているうちにもう下火だし、
ここ数年続いているオーバーサイズの服の流行りも、そのうち終わるのだろう。
女性に、無理なダイエットを強いないのはとても良いと思う。
けれど日本の流行りの常として、
猫も杓子もずるっずるのサイズ感になってしまうのは、どうもね。
若い女の子が、みんな
バーバパパみたいになってるな、って思いながら眺めている。
(まあ90年代後半を通ってきた身としては、
あのぴったぴたのTシャツとか、次いでキャミソールとかの大流行のほうが余程どうかしていた、という気がしなくもない。
下着で出歩いてるようなものでしたからね)
そういうひねくれた精神でもって、いつも自分の「定番」を探すのに苦心している筆者だけれど、
最近ちょっと変化があった。
買い物は、欲しいものより、
本当に要るものを優先すべし。
…ということ、改めて気が付いたのだ。
きっかけは、先日の骨折でしてね(^^;)
右足首をサポーターで固定すると、もちろん普通の靴は履けない。
そこでものすごく役に立ったのが、前にも登場したこのサンダル。

▲EVA製のビルケンシュトック「arizona」
いわゆる「目が合った!!」みたいにときめく買い物ではなくて、
お、便利そうだし買っとこかな。という感じだったんですがね。
骨折した側だけベルトを調節して楽に履けるし、
サポーターと同じ黒なので、悪目立ちすることもなく、周りの人にも「良いの持ってたね」と言われた。
これ、傷んだらまた買います(^^)/
そういうわけで、この冬はお気に入りのロングブーツを履く機会もほとんどなかったのだが、
上記の教訓(笑)を踏まえて、セールでまた実用靴を買った。

▲le coq sportifのスノーブーツ
三角のおんどりでお馴染みのルコックだが、
私はスポーツウエアにはまったく縁がないので、買ったのはこれがはじめて。
履いてみると暖かいし、防水防滑加工だし、
それに、まだ不安の残る足首をがっちりサポートしてくれる感があって、なかなか良かった。

▲こんなふうにスウェットの裾を入れ込んでも、形がきれい
身に着けるもの以外で、最近買って良かったものをもう一つ。

▲アラジンのグラファイトヒーター
こういう細長い電気ヒーターの、もっと安価なものを持っていたのだけれど、
600ワットのオンオフのみで調節ができないので、小さなスペースでは少々持て余し気味だった。
この小さなヒーターは200ワット・400ワットの切り替えができるし、
スイッチを入れたときの立ち上がりが猛烈に速い( ゚Д゚)
ネットで買おうとすると、色によってお値段が違ったりするのだけれど、
ここはやっぱり、
アラジン・グリーンにしちゃいました…
艶消しのグレイッシュグリーンがかわいい(^^♪
(もともと持っていたほうのヒーターは、会社に持って行って便利に使っています)
骨折と、そしてコロナ自粛のおかげで、
買い物がはっきりと実用志向に変わった冬だった(;^ω^)
前にも書いた話だけれど、
自分がそういうふうでありながら、一種の〈贅沢〉とも言えるモノやコトを扱う仕事をしているわけで…
「買う」って、消費ってなんだろう。って、考えることが増えています。
まあ、実用品といいながら、やっぱりいろいろこだわってしまうわけなんですけれどね(笑)
春はもうすぐ、
だけど油断せずまいりましょう。
ではまた。
- 2021/02/20(土) 15:42:02|
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ずいぶんとご無沙汰しております。
年末年始、そして2月に入っても更新せずにいたのはなぜかというと、
筆者の骨折(前回のエントリを参照)がほぼ治って安心したタイミングで、
身内が倒れて緊急入院・手術、という事態になったからだ。
手術は成功し、幸いなことに後遺症もなく、胸をなでおろした。
ある意味、医療崩壊がすでに起こってしまっている…というこの状況で、
迅速に必要な処置を受けられたことに、本当にいくら感謝してもしきれない。
長引く自粛に疲れる気持ちもよくわかるし、
えらい人もやってるとばかりに楽しみを優先する人も後をたたない。
しかし、新型コロナに感染せずに済むとしても、
そのほかのことで必要な医療を、受けられないかもしれない。
自分だけで済むならまだしも、
家族や親しい友人が、助かるチャンスを逃すかもしれない。
今回のことで、改めてその思いを強くしました。
楽しいことがない、のは誰だって嫌だろう。
でも、突如として大きな心配事が起こったとき、
「楽しくない」くらいは大したことではなかった、と気づくのだ。

▲今年の、寒中お見舞の一枚。 月の部分は本銀箔
病人はまだ退院から日も浅く、本調子とは言えないものの、
ずいぶんと普段の生活を取り戻している。
おかげで、未だバタバタとしてはいますが、
また少しずつ、ゆるい話題で更新できそうな気がします(^^)/
今後とも、どうぞよろしくお願い致します。
- 2021/02/13(土) 22:21:46|
- 絵
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-
…やってしまいました。
仕事中に骨折しまして、全治一ヶ月(*_*)
不幸中の幸い、職場から目と鼻の先に病院がある。
落語に出てくる藪医者に、
「手遅れだねえ、
…(屋根から)落ちる前に連れてこなきゃあ」なんてのがいるが、
…そんなことを言われかねないくらい、怪我したてほやほやの状態で飛び込んだ。
(K病院の先生はちゃんとしてはります、すみません)
レントゲンをいろんな角度から撮ってもらい(これがまた痛いんだ)、
翌日の診察で、右くるぶしの骨にはっきりひびが入っているのを確認した。
スポーツと名の付くような行為、ならびに激しい動きはなるべく避けて生きてきたので(^^;)
骨折の経験がなく、やってしまうとどういうことになるのかもほとんど知らなかったが、
まず、
ほんまに痛い。
そして、
何日かの間を置いて
めっちゃ腫れる、
しかもおよそ
生きた人間の皮膚とは思えないような恐ろしい色になる。
この腫れがつらかったですね(-"-)
…けがから2週間以上経った今は、痛みも腫れもかなり引いて、
片松葉杖でけっこう動いています。
とうぜん松葉杖も初体験なわけだが、
これ、そうとう疲れますねぇ(-_-;)
もともと腕立て伏せもろくに出来ないヘタレなので、
こういうときに腕力の不足を痛切に思い知らされる。
近くに実家があるので助かったけれど、家族には本当に世話をかけてしまった。
一日も早く治りたいけれど、
焦ってさらに悪い事態を招く(→再骨折)ことも多々あるようだから、
もう年内は
スローペース確定で予定を組みたいと思います。
なにかと気ぜわしくなる年末に向けて、
皆さま、どうぞウイルスだけでなく不意の事故にも十分お気をつけくださいね。

▲お見舞いに頂いた、素敵なお花
- 2020/12/13(日) 00:05:00|
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いつの間にか、
10月10日の
体育の日がなくなってたんですね。
体育は大嫌いだったが休日はありがたくお受けしていた身としては、
なんでやねん(´・ω・`)
…の感を禁じ得ないけれど、まあこんな者をいつまで休ませたって、スポーツに目覚めるはずはないのであった。
筆者としては11月3日「文化の日」のほうに思い入れがある。
…というほどではないが(ないんかい)、
「洛趣会」といういかにも京都らしい催しが例年この時期にあるし、
そんなところにもぐりこむ機会を戴くずっと前から、
やはりこの日前後に開催される
秋の古本まつりを楽しんでいた。
わりと正しく文化の日を過ごしていたと言えなくもないが、
今年はその洛趣会も中止になった。
(注:古書市は開催されていたそうです)
そんなら、久しぶりに
府立植物園に出掛けよう。
お天気もいいし、あそこならば「密」になる心配もない(^^)
地下鉄北山駅出口からすぐの門を入る。
コロナ禍を思わせるものは、
入口で入場券を自分でもぎらされることと、
ほとんど全員がマスクをつけていることぐらいで、
みんながゆったりと休日を過ごしていた。

▲もう時期を過ぎたとかってに思っていたコスモスが咲きみだれ

▲秋のばらもさまざま
少し歩くと、休憩などできる建物があり、2階では菊花展をやっていた。

▲鉢植えじゃないんですな
菊は好きだが、若いころはこういう人工の極みみたいなのにはまったく興味が持てなかった。
しかし、
この
不自然さが面白い、と今では思う(なんかひねくれた感想ですみません)。
…若冲の、重力すら無視して画面に咲き誇る、あのあやしい白菊を見てからのことかもしれないが。

▲「一文字」という種類だそう
植物としてのプロポーションは完全に犠牲にしてこういう花をつくりあげるのだ。
盆栽だってやはり極まってるんだが、
菊はどれだけ手をかけても、その秋だけの作品である。
イギリスとかのガーデニングで、こんな世界、ありますかね?
またぶらりと歩いて、大きな楠にみとれたりなどしながら、温室へ向かった。
中は、植物の呼吸で充満しているような感じがする。
今の時期は特に目玉はないようだったけれど、じっくり見ていくとやっぱり面白い。
蘭の部屋では、目立たないがものすごく不思議な色の花を見つけて、静かに興奮(*'ω'*)

▲マレーシア原産。花は極小サイズだが…
半透明のブルーグレーですよ、
ほんとにこんな色はじめて見ましたね。
美しい…!

▲声に出して読みそうになる名前
アジアとアフリカの境界であるマダガスカルに生えるから「亜阿相界」なんだそうだが、
それだけじゃないでしょ?ちょっとふざけたでしょ?
…と、思わず問い詰めたくなる。
もっと、まじで変なもの(失礼)もあった。
その名も
「奇想天外」、
ナミブ砂漠に分布し、一対しかない葉がうねうねと伸び続け、寿命は1000年以上と言われる。

▲撮ってなかったので…。本当はもっと長い
昆布のような葉は途中から裂けて、2枚しかないようには見えない。
アアソウカイと違って、名前につっこむ気にもなれない正真正銘の珍種だった。
温室を出て来ると、もう日は傾きかけて少し肌寒い。
それでも平日の自分のように、すたすた急ぐ気にはなれず、
(冒頭で書いたように運動音痴だが、歩くのだけは速い)
北山駅につながる門へとぶらぶら向かった。
地下鉄に乗って帰ったのではなく、続きがあるのだが、
今夜はこのあとすてきなトリオのライブ配信があるので、いったん締めます(笑)
…コロナ禍のもと、生活への制限が続くけれど、
植物園ならそんなに心配なく、のびのび楽しめる。
そうは言ってももちろん油断禁物ですが、おすすめです(^^)/

(注:前回のエントリーでしていた話が途切れてしまってますが、また後日に)
…
- 2020/11/08(日) 20:47:50|
- 京都
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